南方録

「南方録」、買ってもうた。
ジュンク堂

 「南方録を読む」、熊倉功夫
千利休は自身の手で茶の湯について書き残すことなく、弟子達には秘伝ものを書き残すな、と命じたそうです。
ですが弟子の一人、僧・南方宗啓が書き残したとされる資料。
宗啓は利休の三回忌後に、これを残して去って行方知れずとなり、題名も無いまま秘蔵。
約100年後、立花実山が発見し「南方録」と名付け、世に知られることに。
茶道研究者熊倉功夫氏(MIHO MUSEUM館長)が、原文・現代語訳・語釈と解説を綴ったもの。